最北の酒蔵・国稀酒造株式会社/北海道・増毛町/日本酒・酒蔵

本間泰蔵の
増毛への想いが
國稀を生む

KUNIMARE'S HISTORY

国稀は呉服店からはじまった

国稀は初代本間泰蔵が、増毛郡役所に醸造免許鑑札願いを届け出た、明治15年が創業です。
創業者本間泰蔵は、嘉永2年(1849)新潟県佐渡の仕立て屋の三男として生まれ、
明治6年23歳で小樽に渡り呉服店の養子格の番頭として働き、ニシン景気でわく増毛にしばしば行商で来ていましたが、
明治8年に増毛に移り住み呉服商を始めました。

明治15年には「丸一本間」を名乗り、本業の呉服商の他に、
荒物雑貨販売、呉服雑貨や漁獲物の輸送のためだけではなく、
地域住民の需要を満たす海運業、当時この地第一の産業であったニシン漁にも手を拡げ、醸造業も始めるに至りました。
当時、日本酒の多くは本州からの移入酒で、決して安いものではありませんでしたが、
佐渡の知人に酒屋がいたことから知識があった泰蔵は、当地での自家醸造を思い立ったとされています。

創業から20年間は、旧本店(現「旧商家丸一本間家」、国指定の重要文化財)敷地内にある醸造蔵で酒が造られていました。
しかしニシン豊漁による好景気が続き、酒の需要が増え続け、創業時の設備では量産できないところから、
明治35年、現在地に地元産の軟石を使った酒蔵を建設しました。
同年に合名会社となり、丸一本間合名会社酒造部として永きにわたり営業して参りましたが、
合名会社設立から100年目の平成13年に、国稀酒造株式会社と社名を改めました。

国に稀な良いお酒

現在、当社の社名ともなっている酒の代表銘柄の「國稀」も、その昔は「國の誉」でした。
「國稀」という名の酒が、乃木希典元陸軍大将の名前にちなんで、定番の商品名として登場したのが大正9年のことです。

明治35年、旭川の第七師団は盛岡の第八師団と共に、寒さに強いという理由で日露戦争に出征します。
この第七師団にはたくさんの増毛町民が入隊しており、激戦地ともなった二百三高地での死者数も多数となりました。

戦後、戦没者を弔うために慰霊碑を建てる話が持ち上がり、
当社創業者である本間泰蔵がその発起人となったのです。
町民の寄付を募り費用をまかない、明治40年頃、泰蔵が東京の乃木希典元陸軍大将に碑文の揮毫の依頼に赴きました。

実際に面会し乃木大将の人格に大きな感銘を受けた泰蔵は、増毛に戻り、乃木希典の希の一字をもらい「國の誉」を「國稀」と改めました。
「希」ではなく「稀」としたのは、そのまま使用するのはおこがましいと考えたためで、
「のぎへん」をつけて「国に稀な良いお酒」という意味合いももたせました。
明治40年頃から実験的に価格の高いお酒に使っていたようですが、由来についてはあまり一般的に知られていませんでした。

忠魂碑は大正5年に建立され、現在も同じ場所にたたずんでいます。
乃木大将は、大正元年9月に明治天皇の大喪当日、静子夫人と共に自決し本懐を遂げました。